高橋 哲哉 氏

高橋 哲哉 氏

豊田:今日は『犠牲のシステム』という—沖縄そして福島がどのように犠牲になったかという構造的な問題をお書きになった―本の著者で、私と同年輩であり、去年一緒に福島を旅行した高橋哲哉さんをゲストにお招きしました。共同監督の野田と3人で、少しお話が出来ればと思います(場内拍手)。
いま皆さんと一緒にご覧になっていただいたんです。実は試写会の時間もなくて……。

高橋:はい、今日初めて観させていただきました。3時間45分ですか。超大作という感じですけれども。
私は福島県人。福島で生まれ育った人間なんです。ですので、東京でずっと暮らしてきましたけれども、事故はまったく他人事ではないと、ずっと感じてきました。豊田さんのこの映画以外にも、何本か福島についての映画は撮られていると思います。私の大学の卒業生で舩橋さんという人が、『フタバから遠く離れて』という映画を撮られました。双葉町は福島第一原発の立地自治体で、そこの町長さんをはじめとして、村役場、町民の人たちが埼玉に避難して行かれたんです。その日常生活を非常に細かく丁寧に撮った映画だった。その時も思ったんですけれども、今回も、まずは撮っていただいたお二人にお礼を申し上げたい(場内拍手)
皆さんご承知のように、事故の風化という事態が進んでいると思います。私も本当にそれを痛感しています。福島に、事故後いろんなことで、平均すると月に1回くらいは戻っています。福島の人たちの思いも、「自分たちが取り残されている」というのが、ものすごく強いんですよね。そういう中で、福島の声がなかなか届かない。政府にはもちろん届かない。政府には聞く耳がないのかという気もします。なかなか全国に届いて行かないというもどかしい事態の中で、こういう福島の、本当に普通の人たちの、今回は長谷川健一さんご一家を中心に、飯舘村の酪農家の人たちが中心ですが、こういう人たちの日常、本当に1つひとつの場面に丁寧に寄り添ってくださって、そしてその記録を遺してくださる。この福島の声を遺してくださったというだけで、本当に私は感謝したいというのが、まずは第一印象なんです(場内拍手)
それからやはり印象的だったのは、全体のタイトルが『遺言 原発さえなければ』ということで、これがどこから来ているかは、もう皆さんおわかりかと思います。最後の第5章に出てきた相馬市の玉野地区という、飯館村に接している相馬のいちばん西側のところなんですよね。そこで酪農家であられた、事故後2011年の6月に、菅野重清さんという方が自死をされてた。その菅野さんの、あれは堆肥小屋ですか、そこのベニヤ板の壁のところ、まさに亡くなられた現場なんですけれども、そこにチョークで、遺言として「原発さえなければ」という言葉が遺されていた。そこが出てくるのが第5章で、やっぱり第5章の、この重さっていうのが印象に残りました。
全体としては、長谷川さんご一家をはじめとして、飯舘村の皆さんの泣き笑いが全部入っている。人間ですから、苦しくても笑うこともあるし、日常生活のいろんな部分が全部出ていた。そういう非常にヒューマンな描写が印象的でした。その中でも最後の、タイトルにもなった「遺言」というエピソードが、重く感じられました。
私も実は、あそこの場所に、豊田さんに連れてっていただいて立ったんです。本当にそのまま残されていてですね、長谷川さんもおっしゃっていましたよね、「あそこに全部、重清の思いが凝縮されている」と。これは、ある意味では福島の酪農家あるいは福島の被災者、あるいは今回の原発事故の被災者の思いだと、思うんですね。それが凝縮されている場面を、全体のモチーフというか、通奏低音にしてつくられた映画で、やっぱりそこからいろんなことを考え始める必要があるんじゃないかな、というふうに思いました。

豊田:足立さんの時にもそうだったんですけれども、あまり褒めると褒め殺しになるということで(笑)
ただ、それこそおっしゃってくださったように、福島生まれ、福島育ちの高橋さんがどう観てくれるかというのは、正直言うといろいろ不安もあるわけです。この映画は、実はいちばん最初に試写会をやったのは、登場人物の中で出てきた長谷川さんたちがいま住んでいる伊達市の伊達東仮設住宅の中でやらせていただいたんです。そこの仮設の集会所をお借りしてやったんですけれども、その時にまず、いちばん最初の緊張を強いられました。どういうふうにみるのか。もちろん、もしかしたら今日もいらっしゃっているかもしれないですけれども。昨日も終わってから、富岡から避難してるんだという方が声をかけてくださって、この会場にも福島から避難してらっしゃる方がいるかもしれません。で、「見たくないけれども見なきゃいけない」という思いの方もいらっしゃるし、その伊達の仮設の場合に限っていうと、全員が飯館村からの避難者なので、また様々な思いがあります。「あの人が映ってる」という卑近な例から(笑)
ただ、この3時間45分を、パイプ椅子で80歳、90歳のおじいちゃん、おばあちゃんが微動だにせず、最初から最後までずーっと観てくださったということに、まず僕自身は感謝したんですね。だからこそ、逆に言うと、自信をもって全国で上映しなきゃという思いにも駆られました。野田君はどんなふうに思いましたか?

野田:全然違うことを考えていて(笑)
昨日、実はゲストで森達也さんに来ていただきました。この映画のストレートなタイトル「遺言」、そして「原発さえなければ」という言葉と、もう1つは3時間45分という時間。そして入場料、当日券3000円、前売りでも2500円という中で、森さんに言われたのは、「お客さんに、‘来て欲しくない’と言ってるような映画じゃないか。それでどうしてお客さんが来てくれるのか。僕のドキュメンタリー映画『A』の時は、まったく来てくれなかったのに」と言っていて(笑)
でもなんか、実は今回こうやって沢山の方に来ていただけたのも、3年という時間も1つあったのかな、というふうに考えてるんですね。たとえば、高橋さんが著書『犠牲のシステム』の中でお書きになったように、3.11直後にその犠牲のシステムというのが露わに見えて。
もちろん福島の原発による災害のこともあれば、いまでいうと、津波の被災地の防潮堤の問題とかもあると思います。つまり、つくられたシステムが既にあって、それをなんとか、3.11を経験したから、もう一度リカバーしよう、つくり直そうという声があがったんです。けれど3年経って、いまこの国はどこへ向かおうとしているのかと思われるほど、巻き戻しといいますか、3.11以前に、いやそれ以上に犠牲のシステムの強い社会に戻ろうとしている。このあたりに、いろんな人が危機感を抱いてるんじゃないか。それが[たくさん]沢山の方に観ていただいている原因じゃないかと思うんです。そのあたり高橋さんは、福島・沖縄というものも考えたうえで、どのように[捉]とらえてらっしゃいますか?

高橋:はい[。]、そうですね、そういう面があると思います。
2011年3月11日に、地震・津波で多くの死者が出ました。そして原発事故が起こったわけですけれども、私はある意味で、やはり戦後最大の事件といっていいくらいのものだと思うんです。戦後の日本の歴史というのを振り返り、どうしても[、]反省的に見直さなければならないような事件だったと思うんですね。そういう意味では第二次大戦の敗戦にも匹敵するような、そういう意味をもつ事件だったと思うんです。ですが、だんだんとやっぱり風化してきている。
ここまで[き]来て、私もいろんなところで、いろんな人の感想や反応を知るんですけれども、「この程度で済んで[良]よかったね」というような感じの反応がけっこう出てきているんですね。そして「福島の人には気の毒だけれども、日本はこれから景気も回復して[く]来るし、そんなに悪いことだけじゃないじゃない」という、そういう反応がやっぱり出てくる状況が現にある。
そして日本の国、それを導いている政権が、福島原発事故の被害・犠牲を、ほとんどものともせずに、また原発の輸出・再稼働推進に向かって[い]行っている。
そういう意味では、3.11で被災した人々に対して「犠牲のシステム」というのはキツイ言葉なんですけれども、これはつまり、原発というのは犠牲のシステムだったんじゃないかと。犠牲を組み込んで初めて成り立つようなシステム。事故が起こればこれだけの被害が出る。起こらなくても作業員の方たちの被爆とか、それから核燃料となるウランを採って[く]来る時から被爆労働が始まっている。あるいは核のゴミを10万年も先の世代にツケに回している。そういう犠牲を組み込まないと、原発というのは一瞬たりとも動かせない。そのことに私は気[付]づかされたんですね。なので、それをやめようとか、もう一回考え直そうという大きな波のうねりが来て当然だと思っていた。で、それはある程度盛り上がったんです[、]。残念ながら[。]、世論はまだ脱原発ということを忘れてないと思うけれど、どうも国のほうが、そうなっていない。
[後]あとから[分]わかったことですが、2011年の3.11からほどないあの年のうちに、もう経産省は原発維持の計画を立てていたということも[分]わかって[き]来ましたよね。そういう意味で、私はむしろ[、]3年目のいま、原発というのが犠牲のシステムだったということが、逆にますます露わになってしまったと感じている。つまり福島でこれだけの犠牲が出たにもかかわらず、このシステムは動いている[、]。そうだとすれば、この犠牲はもう織り込み済みなんじゃないか、そういう犠牲は切り捨てて、そこから利益があがればいいという人たちが、このシステムを維持してるんじゃないか、そんな[ふう]風に[今]いま強く感じているところなんです。つまり、これは犠牲のシステムだっていうことが、ますます[分]わかってしまった。で、私は、これはやめなければいけないという[ふう]風に思っています。

豊田:それに関連してなんですが、その犠牲のシステムというのを国家が強いるだけじゃなくて、実は僕ら自信が非常に犠牲のシステムに乗っかり[易]やすい状況にあるということを、僕は[ひと]1つ思い出したんです。
この映画の中では描いてませんけれども、いま福島に行くと、除染で、フレコンバックといって、汚染土[、]あるいは汚染された草とかを入れた袋がいっぱい山積みにされています。新聞・テレビの報道も、政府の発表も、各自治体の発表も、「除染が遅れているから、復興が遅れている」と言っている。ということは「除染してくれ」って言ってるんですよね。もちろん避難民も「除染してくれ」と言いますよね。除染していいんですか?
(高橋さんが)おっしゃった通り、ウランを地面から掘るところから原発を動かすまで、ずーっと被爆労働を強いる。そして事故が起こったら除染するのは誰ですか? みんな事故で仕事を失ったから除染労働者になっている。あれはロボットが除染しているわけじゃないんです。誰かがものすごい放射線を浴びながら土を集め、草を刈り、それを袋に入れ、しかもそれで(住民はそこに)帰れるんですか? じゃあなんのために被爆労働を強いる? もちろん東電の社員が除染するわけじゃありません。そういう[事]ことがひっくり[かえ]返って[く]来る。
もう[ひと]1つヒントになるのは、おそらく「安全神話」は崩壊したと思ったんですね。そしたらすぐ出てきたのは、今度は「安心神話」ですかね。「大丈夫だよ」って気持ちの問題で言っている。そういう[なか]中に被爆労働が「被爆」という言葉じゃなく「除染」という言葉で、まるで良いことのように語られていく。そして問題の犠牲のシステムが見えなくなって[い]行くということが、[今、]いま続いているような気がしてならないんです。(高橋さんは)何度も見たと思うんです、現場を……。どのようにお考えですか?

高橋:はい、その通りですね。
一緒にも見ましたし、何度も見ていますけれども、私は、いまの映画で酪農家の方々のああいう思いを皆さん見ていただいたばかりですから、ある意味では辛い認識を申し上げるようですが、本当に私たちは取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない。それはつまり原発とか、関連の核施設なんかを、日本列島の狭い[なか]中にいくつ[作]つくって[き]来たのかということですよね。つまり、もちろん事故もそうですけれども、これを廃炉にすることを仮に決めたとしても、つまり脱原発を決めたとしても、本当に実現するまでにはですね、とにかく犠牲を強いるんですね。誰かがこれをやらなきゃいけないというのがあって。
そういう意味では、戦後の私たちの世代、いろんな世代がここにいらっしゃると思いますが、特に我々の世代が高度経済成長以降、原発に頼ってその安全神話を、どこまで本気で信じていたかは別として、やっぱりどこかで油断して、原発は危ない、チェルノブイリも起こった、まあけれども日本の原発は大丈夫じゃないか、と思ってましたよね。豊田さんが正直におっしゃったように、私も[、]まさか日本の原発が、ましてや自分のふるさとで、なんて思ってなかったです。
そういう意味では、長谷川さんが「真っ暗闇の[なか]中を進んでいる」とおっしゃいましたが、それは長谷川さんや飯舘村の酪農家の[みな]皆さんだけじゃないと思うんですよ。私たち自身が、実はいま[、]日本列島の上で真っ暗闇の[なか]中にいる。だから、ここからどうやって歩み[だ]出すのか、ということが問われているのに、真っ暗闇のままで[行]いきたい人がどうしても政権についている、という印象ですね。そういう意味では、本当に犠牲のシステムというのは辛い認識だということを確認したいと思います。

豊田:もう終われ、という合図が送られております(笑)[。]
その「真っ暗闇」を共通認識できるような映画だったらいいな、と思います。でも、もちろんその真っ暗闇のどこか[む]向こうに、僕らは希望の光を見たいということを、映画の[なか]中でも描いて[き]来たつもりです。

高橋:最後の第5章で、やっぱり「再出発」というか、飯館はもうダメかもしれないけれども、新しい所で、という、あの[へん]辺のところで希望を感じましたね。

豊田:次の世代に[、]バトンを、私たち自身がつないで行きたい、という[ふう]風にも思っております。
そのためにも、最後の宣伝。

野田:そのバトンを渡すためにも、ぜひこの映画を広めていただければと思います。お手元にコピーをお渡ししているように、この映画の自主上映の募集というのを開始しています。ぜひ主要都市だけじゃなく、いろんなところで上映してもらいたいと思っております。もう[ひと]1つ、クラウドファンディングというネット募金のほうも継続して行っています。この二人はフォトジャーナリストで、3.11の事故直後から現場に行きましたけれども、後先のことをいつも考えてなくてですね、「さて、ここからどうしようか」と立ち止まってしまうところがある(笑)。そんな[なか]中で、配給宣伝費も募っていますので、ぜひご協力をお願いいたします。

豊田:本当に長時間、ありがとうございました[。](場内拍手)

講演文字起し Kyonga(ボランティアスタッフ)
構成・整理 Sawa(ボランティアスタッフ)