落合 恵子 氏

落合 恵子 氏

豊田:クレヨンハウス代表の落合恵子さんです。
せっかくですから、この映画の感想からお聞かせ願えますか。

落合:皆さん、いま映画をご覧になって胸がいっぱいの方が多いと思います。
私も泣きました。うまく言えませんが、涙が止まらなくなってしまいました。永田町にいるヤツらをひっぱって来て、これを全部見せてやりたいと思います。だって、人生が壊されていくわけじゃないですか。何を考えて、いま、また再稼働なんて言いだして……。
今日、ご存じのように愛媛県で朝2時くらいに、震度6近くの地震がありました。それで伊方原発はどうなるんだ、と。私たちはやはり、何も変わっていない社会に生きてますよ。本当のことはずっと教えられてこなかった。今回だって、もし何かあっても、わかるのは数カ月たって誰かがリークした時ですよね。いつまでこの綱渡りを続けていくのかと思うと、とても無念なのです。
いつだって歴史というのは権力者のためにあったんですよ。大文字のヒストリー(HISTORY)は、HIS-STORY。「彼」の物語だったんですよ。私たち市民の歴史は一度たりとも表には出てこなかった。だから消されていく可能性がある。それをこういう映画のかたちで遺してくださったことは、本当に歴史的にも大切なことだと思います。
豊田さんも野田さんも大変だったと思います。これからも大変かもしれませんが……。
もう1つ心配なのは、お金大丈夫ですか。後でこっそり教えてもらいますけれども(笑)。心から本当にお礼を申し上げます。素晴らしい映画をありがとうございました。(拍手)。

豊田:申しあげておかなければいけないのは、お金のほうじゃないんです。ある方がおっしゃってくださったのですが、「映画というのは撮る側と映る側の共犯関係で成り立つんだ」ということです。私と野田がこれだけ続けられたのは、カメラの前にずっと立ち続けてくださった人たちがいたからです。私と野田はこうして東京に戻って来ることができる。でも映っている人たちは逃げられない。ということを考えると、けっこう重いものを私たち自身も感じています。

落合:わかります。映画の中で泣いたのは、どっちですか。牛を迎えに来た人が「悔しい」って言った時、マイク向けながら声が詰まりましたよね。

豊田:すみません、涙もろいというより泣き上戸なので……。

落合:誰だってそうですよ。私もまた福島に行くんですが、自分の中で非常に後ろめたいの、最後は新幹線に乗って帰って来る時なんですよ。そこにとどまるしかない人、それから住めないと思って出てきた人。両方が苦しんでますよね。二分されて、妙なかたちで対立関係にさせられている。
忘れないでいただきたいのは、権力ってこうして苦しい者同士を対立させて、自分たちはあぐらをかいて生きて行くんですよね。この歴史を私たちはずっと見てきて。私は69歳なんですが、戦後の民主主義をずっと見てきて、色々なシーンで運動などに、ささやかですが関われるものは関わってきました。
いつだってそうです。いつだって対立させられて二分させられて、一番近い人たちが傷つけあっていく。私はこの構造を本当に変えたいです。
でも現実には、福島で生きていく方、出ていかなければいけない方。
それからこの映画は、「酪農」という1つの象徴で描いていただきましたが、農業をされている方もそうですよね。私は子どもの本屋をやっているんですが、子どもの本屋と八百屋をくっつけているんです。なぜかというと、やはり「安全」を考えた時に、食べ物も大事にしたい。それで、有機の野菜とか、農薬などの人工的なものを使わないものを日本中から集めてやっています。
ここでも酪農家の悲しい自死が出てきましたが、福島での自死の第1号が、私たちの仲間だったんです。地区割りがあって、私たちは彼のところの作付けには入ってなかったんですよ。キャベツで有名な人ですから。63歳だったかな。日本の有機農法のスタートの人なんです。ちょうど日本で言うと『複合汚染』(有吉佐和子)が出て、米国で言うと『沈黙の春』(レイチェル・カーソン)が出て、そしてその後、始まった人だったんです。出荷直前のキャベツを背にして、自らを消さなければならなかった人生。そしてここでもまた、「原発さえなければ」と言った方です。
日本の政治家は、本当に無念なことに「痛み」を知らないと思います。「原発で死んだ人はまだ出てない」って平気な顔して言うじゃないですか。ひきずってきて、この映画を見せたいよね。現実には、関連死は1年目より2年目より、どんどん増えています。人間って、この緊張感をずっと保てない。保つのが難しくなるでしょ。

豊田:関連する話を少しさせていただきますけれども、直接死というんですか、津波とかで亡くなった方よりも、後から亡くなった方の数が、ついに福島では越しているんです。これが宮城や岩手と違うところ。ということは、復興ということよりも、どこが出発のゼロなのかわからないというところが、底が知れない。ということを思いながら取材させていただいています。だから、復興へ、なんて話じゃなくて、本当にいま、マイナスからゼロまで戻ることすらできていないという状況にあるんじゃないかという気がしています。

落合:そうですね。私も飯舘に雪がものすごく降っているところに車で通ったことがあるんです。すっぽり雪に埋もれていて。都会暮らしの私たちが見たら、なんていいんだろうと思う自然の場所で。横に広がった瓦屋根の家があったりして。雪だけの中に、たまに立っているのが葉っぱを落としたセイタカアワダチソウで。そして人がいなくて。そのまま小高の駅のほうに行くと、雪に埋もれた中で一軒だけ美容店が開いていたのかな。日曜日の真昼なのに一人も人がいないんです。真っ白な雪の中に何が映るかというと、人がいなくても信号はついているでしょ。赤がにじむんですよ。青が、黄色がにじむんです。この現実の中で、それも現在進行形で続いている。それなのに再稼働ってなんだよって。私は普段は静かな生活が好きなんですが、最近はおさえられないですね。どうしてあの政権に勝たしたんだ。悔しくて涙が出ますよ。私たちは何を見て来たんだ。それでいま各地で再稼働しようとしていますよね。海外にも売っていく。海外の子どもたちを福島の子どもたちと同じ状況にしていくのか。私たち大人って本当にこれでいいのですか、って自分にも問いかけなければいけないし、考えてください。昨年の12月には、私も皆と一緒に国会の周りをヒューマンチェーンで囲みましたが、特定秘密保護「法案」が「法」になりましたよね。すべて向かっていく道が見えるじゃないですか。そして、いまは集団的自衛権の容認についてでしょ。おそらくこのまま消費税が4月に上がってくる。その前に全部通してしまおうって思ってる、と思います。本当に悔しいんです。私たちはこんな国を夢見て、こんな政治を夢見て生きてきたのか。子どもたち、孫たちに何を残すのか。あんまりだなという気がするんですよね。そのうえ、私聞きたいんです。「怒ってますか?」。怒って欲しいんですよ。「白々とした顔をしてるな!」って、すごく腹が立つんですよ。わたしたちの責任なんだよね、これは。
私がすごく悔いていること、反省していることがあります。自分の分野で。私はスリーマイル島の原発の事故も含めて、そしてチェルノブイリの後は、亡くなられた高木仁三郎さんにお願いして、クレヨンハウスで学習会を行っていました。反対のデモにも行きました。でも、最後の民意にならなかった。でも、気になって気になって。私は育児雑誌も出していますから、そこで特集をやってきても、結局、どこかの遠い話をしてきた自分たちもいた。いつかは起きるだろうと、思っていましたよ。そして、2011年3月。もう、どう考えたらいいのかわからないです。
そしてこれらは全部、構造としては「差別」なんですよ。私が「原子力村」に反対するのは、あの原子力村だけじゃなくて、この国にたくさん原子力村があるからなんです。あらゆるところに、必ずあの差別構造はある。差別をする側と、被差別者、される側の構造がある。同時に、もう1つ刺激的に言わせていただくと、男社会も私に言わせると差別構造そのものですよ。女たちの中にも、男の言うことしか聞かない人がいる。女たちの中にも、権力者の男の言うことにしか耳を傾けない人がいる。そう考えると、あっちもこっちも、そっちも、ぶつかってしまって、動けない自分がいます。もう嫌だよって、言いたくなる自分がいる。これはずっと自分の中にあった悔しさです。ああ。何も変わってないのかな。このまま、また再稼働になって、そしてこのまま、またこの事故が起きた時にどうするの?……って、色々なところで話すんですけど。わかってくださる人は、わかってくださる。つまり、私の話を聞いてくださる人は、そう思って来てくださってる方々なんです。
問題は、ここから一歩出た後です。いつもそうです。集会でもいつも思うのは、一歩出たそっち側にどうやって声をかけるのかと思うと、必死に書いたり。私はメディアが方法だと思いますから、相手が何であろうと自分の字で書けばいいんだと思って、どこでも書くし、どこでも語ります。でも一歩出た後はどうなんだ? たとえばこの東中野の居酒屋で飲んでいる全ての人たちに私たちは伝えられるか、という。すごく難しくて。ごめんなさい、私一人で話していいんですか。

豊田:大丈夫です。怒りの頂点に達するまでは。ただ、倒れないでくださいね。

落合:大丈夫です。血圧の心配だけ。いや、同じことをいつもみんなで話しているんですよね。まだ倒れたくないねって。どうなるかわからないけど、もうちょっとふんばっていきたいね、っていう思いがありますね。
私は1945年、敗戦の年に生まれたんですが、小学校の時に、8月15日に、大人たちが「もう二度とやだね」って話をしていたのです。ご近所の人とかが。小さい時は「そうだね」って思っていました。でも、中学に入ったくらいから、じゃあなんで反対しなかったんだろうって。そんなに嫌だったら反対すればよかった。もちろんあの時代はできません。女性たちも参政権がなかった時代だったけど、目いっぱいやればよかったのにって思った、10代の私がいて。60代になって、同じことを言うんですね。今度は下の世代から聞かれる時になったんだな、という気がしていますね。

豊田:ひと言だけ。怒りから絶望的な話になってはいけないので、1つだけお伝えしておかなければなりません。今日が最終日ということで、落合さんに来てもらったんです。おそらくこれが最終日になって、さみしくこの場が終わるのかなと思っていたら。この上映が始まったら、毎日毎日、来場される方が増え続けているんです。それはおそらく、前日に来た方が、表に出て皆さんの友人、知人、インターネットで伝えてくださっていて、翌日に人が増えて行く、……ということを考えると、やはり皆さんと一緒に、こういう空間を作っているんだな、ということを思っています。

落合:追加上映が決まったんですよね。

野田:そうですね。その間は、トークは用意していませんが、初日から今日までは、毎日ゲストの方をお招きして、お話をうかがって来ました。
今、落合さんがお話されたことが、すべてのゲストの方に通じる。もちろんテーマは違います。たとえば3月11日、高橋哲也さんに来ていただきました。その時は、犠牲のシステムのことについて話していただきました。いまの差別の構造、地域格差。そもそも原発がなぜそこにあるのかという原因が、まさに差別や地域格差にあるわけです。それと同じようなことが、もちろん原発ではなくて、戦争ということにも置き換えられる。
そして3.11以前に比べて、3.11後に、この社会の差別のシステムに、私たちは気づいたのではないか。命の大切さをあれだけ叫んでいたにもかかわらず、この3年で、より戻しは激しくて、なおかつ高橋哲也さんがおっしゃるには、犠牲のシステムがより強くなってきている。やはりピラミッド構造が加速化しているのではないか、という風におっしゃっていました。そういった中で、ここに集まっていただいている皆さんは、そういったことにも危機感を持っていらっしゃる方たち。そして、その危機感を抱いた人たちが、こうやって一人ひとりの言葉で発信されて全国につながって行くということをもう一度。3.11直後は、その力がありました。そして3年経ち、もう一度その力を社会に問いかけて行けるんじゃないかなと思い、この映画を全国で劇場公開して行きたいと思います。

落合:そうですね。先ほどもお話されていましたが、原発のあるそれぞれの所でこれが上映されたら、人は論理だけでは動きませんよね。論理のない感情というのも問題と思いますが。論理と感情と感受性が1つになった時に、大きな力になるとするならば、伊方でもでもやりたいし、鹿児島の川内でもやりたいし、その他諸々でもやっていくような。
そして、私たちがそれをどこまでサポートできるか。それぞれの私たちは、2人が作ってくれたんだ、ということを考えて行きたいです。
そして3.11以降ずっと考えています。
私の60何年の人生の中で、いつもいらないと思って蹴飛ばして来た、「権力」が欲しいと思っています。権力があれば、ここに出てきたご一家だって、農業をやっている人たちだって、学校やその他諸々も含めて、ある地区に皆さんでどうぞって、言えるじゃないですか。
これは最終的には力ですよね。ずっと「権力反対」と言ってきた自分の人生で、あっちのヤツらが言っている権力じゃないけど、力が欲しいと、いまでも思っていますよ。じゃないと動かせないんだもん。そして私たちは、いつでも何をやっても、ぶつかるのは政治じゃないですか。思い出すことがあって、あれは東大闘争の時かな。安田講堂の壁に書かれたスローガンがありますよね。「力尽くして倒れることを拒否せず。でも、力尽くさずしてくじけることはしたくない」(「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして 挫けることを拒否する」)という言葉で。私はよく、こういう会で「色々しても何も変わらなくて、この先どうしたらいいんですか」と聞かれることがあります。知ってたら教えてよ、と私も思うんです。だってわからないですよ。ずっとやってきても変わらない現実があることも事実ですよね。でも私は一方で思うんです。変われると思った時だけ、あなたはやるんですか、と。変わらないかもしれないけど、おかしいときはやはり、やんなきゃいけない、でしょ。結果だけみて、ケチな計算をするなって思う時もあります。私たちだけでも、もう少し変わりませんか。皆さんもちろんそうして来ていて、各地で頑張ってきている方々も、もう十分されていますが、あと1ミリずつ皆の力を出して。どうなるかはわからないけど、ここに人はいるんだぞということも見せたい。私は60年安保の記憶もあります。私は15歳でした。樺美智子さんが亡くなったのを、恥ずかしながらテレビで見ていました。その日の夜のラジオで「グレーのスラックスにクリーム色のカーディガンを着た東大の女子大生です」という言い方があったのかな。あの時は、国会包囲をあれだけの人々ができたんです。現在は、特定保護法案反対のヒューマンチェーンを皆でやりました。いろんな方が来てくださったけど、あの数にはなかなかならない。
ここで1つ大事なのは、メディアの力なんですよ。
私は特定保護法案のことが、1週間前から報道されていたら、もう少し違うかたちだったと思います。ほんの一瞬の遅れで、あれが成立してしまいました。集団的自衛権も特定秘密保護法に似ていて、うちは関係ないと思われる方がいるんです。あなたの息子やお孫さんが、その恋人の女性や、という風に一生懸命ゼロからやっていっても、なかなか広まりを持てない部分もあるのですが。もう時間ないんですよね。もっと語り続け、伝え続け、あきらめない。結果だけで考えるのは、あいつらのやり方ですよ。私たちは、結果がだめでもやり続けるしかないじゃないですか。そのことを自分と私が約束して、生きていくしかないのです。うまいこと言えなくて、ごめんなさい。

豊田:ということで、お時間になりました。落合さん、ありがとうございました。

落合:どこかでまた上映会を開けるように、皆さん、力をお貸しください。
ありがとうございました。

講演文字起し Kiku Ito(ボランティアスタッフ)
構成・整理 Sawa(ボランティアスタッフ)