なかにし 礼 氏

なかにし 礼 氏

野田:おつかれさまでした。いかがだったでしょうか。
今日は編集の安岡さんにも来ていただいています。最初、実はこの映画、6時間だったんですね(笑)
あとで安岡さんにも話していただきたいと思いますが、切っても切れない理由というのは…。この中にはご家族が描かれているんですけれども、ひと家族、ひと家族、いろんな思いをもっています。ある人は、ふるさとを奪われてここにいます。ある人は、畑を奪われたと言います。故郷を失ったと言います。しかし、その1つの言葉の裏側に、いったいどれだけの思いがあるのか、どれだけの悲しみがこの中にあったのか、そういったものを描いたので、なかなか切れなかった……という風におっしゃいました。
この3時間45分の中に、私たちのメッセージは含めてますので、今日はゲストとしてお越しいただいた、なかにしさんのご紹介からお願いします。

豊田:今日はゲストに、なかにし礼さんに来ていただきました。
2年前になりますけれど、震災丸1年を描いた私の本『フクシマ元年』を書かせていただいた時に、読んでいただいて、一度お会いしたいとおっしゃってくださった、なかにし礼さんです。もう紹介するまでもなく、皆さんご存知の方です。
私は、その2年後の『福島を生きる人びと』を今週出したばかりなんですけども、実は、なかにし礼さんもまた、今まさに、10日発売で『天皇と日本国憲法』という新しい本をお書きになってます。
その中で、「集団的自衛権をもつことになったが、憲法第九条がある故にそれが行使できないというのが、彼ら改正派、すなわち戦争推進派にとっての不都合なのである。いま、手続論であるとか、先に憲法第九十六条を変えようとか、こういった憲法改正論というのは、それは戦争推進派ではないか」ということを、きちんとおっしゃってます。
もちろんそれは、「我々はどこから来てどこに向かうのか、我々は生き物の中では唯一堕落する才能をもった魔物である」ということを、私たちに向けても言っています。その最たるものが原子力発電所ではないかと。つまり、堕落の象徴としての原子力発電所というようなことを表現なさっております。
そういうことで、ぜひ私たちの映画を観ていただきたいと思いました。この本の中でも書いてくださってますし、初出は「サンデー毎日」ですけれども、この『遺言 原発さえなければ』について、評を述べてくださってます。
こういう風におっしゃってます。もう皆さんご覧になってしまったので、●●●●ないかと思います。
「原発をつくり稼働させるということは、国家壊滅計画に他ならない。このことを黙認する人は皆、共犯者である。私たち自身が被害者であるという立場に立てるのか」ということも問題提起なさっています。
なかにし礼さんに、今日はお越しいただきました。

なかにし:皆さん、どうも長い時間おつかれさまでした。
作品のことを揶揄ってるんじゃないですよ。4時間近い映画を観ることは大変な肉体的エネルギーを要するもので、私も観ておりますのでわかります。ドキュメント映画というのは、最近、富みにこういうつくり方が正しいとされておりまして。いま中国で巨匠とされている王兵(ワン ビン)監督は、9時間のドキュメント映画を最近発売しております。私はまだ途中までしか観ておりませんが、何事も始まらず、何事も起きないまま、まだ来ております(笑)
それはどういうことかというと、ある町、瀋陽(しんよう)という町の移り変わり、その町はどう変わり、政治の情勢があってどう変わっていくのか。どう違って、人々の生活が変わり、そしてどう発展し……。
発展することは必ずしも正しいことと限らない訳ですけど、どうなって行くのか。大きな目での町の物語なんです。それと非常に共通しているのが、今回の『原発さえなければ』っていうドキュメンタリー映画ではないかなと。
僕がこの作品を観て非常に驚いたのは、事故があって、もうすぐに福島の現地に入り込んで線量を測るということをスタートさせていたということ。
この豊田さんと野田さんの二人の共同製作者の方の先見の明といいますか、この事件が並々ならぬものであるという、大変なことなんだと感じ取った感受性と予見性と行動力、それがこの作品。これが本日皆さんに紹介されたわけですけど、もうフィルムを回し始めたということに大変な驚きを感じるわけです。まあ行ってみて、びっくりして帰ってくるというのが、我々だったら普通なんですが、そこで腰を据えて撮り始めた。で、その段階からすでに幾つかの家族に焦点を絞って、そしてその家族、家族の思いや苦難をまた軽妙に描写している、ということに、もう大変、なんていうのかな、やっぱりそれはドキュメンタリー作家であり写真家である豊田さんの、いままであらゆる国でいろんな悲劇を見て来た職人的な勘といいますか、原始的な閃きといいますかね、そんなものがあったんだろうと思います。先ほど申し上げた中国の監督ではありませんが、できるだけ自分たちの心的な意図を殺して、現実というものを丁寧にとらえて、現地の人々の言葉をそのまま。ズーズー弁のまま。
イヤ本当、僕ね、観ていながらね、字幕が欲しいと思いましたね(笑)。わかんねえんだもん、言葉が(笑)。という感じでしたけども、それが生の言葉ですから。まあ字幕があってもいいかなと思うくらいでしたね(笑)。

豊田:すいません、12日には英語版を流しますので。英語版には字幕が(爆笑)

なかにし:あ、そうなの? 英語はなまってないし(笑)
言葉そのものが現地の生きものですから、変えないことが正しいんですけど、本当に意味不明なとこが所々ありました。
それでも僕が一番感動した言葉はですね、ある若者が言うんです。「自分一人がここから逃れてどこかへ行って再生するっていうこと、それは可能なんだ」と。可能でしょう、若者ですから。でもね、それじゃ意味がないんで。自分たちの町、自分たちの村そのものが再生しないと、我々は再生したその意味を実感できないんだ、ということを若者が言ってました。あの言葉がすべてじゃないかなと思います。
そして「原発がなければ」という言葉を遺して亡くなった菅野重清さんのお言葉なんですが。本当に「原発さえなければ」と言う言葉はですね、彼らが原発によって生活が破壊されたという悲しみだけじゃなくて、我々が彼らの生活を破壊して、我々の幸福を享受しているということを忘れてはならないと思いますね。
ですから世の中に一人でも悲しむ人がいたら、自分自身、幸せだってならないわけです。人に悲しみを押しつけて、苦しみを押しつけて、自分の幸せを享受しようとしている。ということは、原発推進派の方々が考えている「原発がなければ国はやっていけない」という、彼らのほうがよっぽど大義名分があるんでね。
「なんだか知らないけど、それに任せていればやっていけるわよ」っていうほうが、もっと実は、僕は低級だと思いますよ。政治家の方は国を営んで行かなければという大義名分がある。そういうのは私利私欲が絡んではいるだろうけど。
でも「お上に任せておけばなんとかなるんだ」っていう発想の方が、僕は政治家より劣ると思う。その政治家を選ぶのはあなた方なんです。そういう幸せはいらないんだと。私たちは人の悲しんだり苦しんだり、「原発さえなければ」という言葉を聞きたくない、二度と。だから、「原発を止めてください」ということを表現するには選挙しかないわけですから。日ごろからそういう意識をもって、今後、選挙に向かって行動を起こしてもらえたらと思います。
……と、僕はこの映画の解説にきた訳ではないんです。推薦しにきたわけで、こんなアジ演説をするつもりじゃないんですけど、顔を見ているうちに(笑)、そんな気分になったんで言わせていただきましたけど。そんな思いで、毎日鬱々として過ごしております。日本はどこへ行くのでしょうか。
しかしまあ、皆さんが目覚めてくれさえすれば、日本はきっと間違った方向に行かないんじゃないかと思います(会場拍手)。

豊田:お話をおうかがいしながら思ったんですけど、フットワークが軽いとかなんとかという前に、1つだけお断りしなければならないのは、やっぱりなぜ、3年間も撮りつづけたかといえば、私自身はもちろん後悔……申し訳なかった、と。
私自身が、ガイガーカウンターを持っていたということは……10年以上前からガイガーカウンターを持って、放射能の危険を訴えてきたつもりです。それにもかかわらず、この事故を起こしてしまった側の大人としての責任が、僕にもあったはずなのに止められなかった、という後悔があって。それともう1つです。残念ながら起こってしまったら、放射能をこれだけバラ撒いてしまったら、僕らにできるのはとにかく記録しよう、目の前に起こっていることを遺さなければ……。なかにし礼さんがおっしゃってくださったように、「次にもう一回は、もうないんだ」という思いで、やって来てます。
でも残念ながら、セシウム137の半減期ですら、30年。半減期というのは半分ですよ、やっと。という事は、僕らの命がある間にこの問題は解決しないということも含めて、野田と私は記録し続けなければいけないと。
先ほど冒頭で、ゲストに来ていただいた長谷川健一さんからも言われたわけですけども、ぜひそのことを続けさせていただきたいと思います。ただし、それはこのような映画になるには、安岡さんの、「バサバサ切るぞ」と言って切れなかった安岡さんの、編集がなければあり得なかったことなので、ひと言お願いします。

安岡:3時間45分、どうもおつかれさまでした(会場拍手)
長かったのはすべて私の責任と申し上げます(笑)。先ほど、なかにしさんがおっしゃってくださった9時間の映画は、王兵という中国の監督の作品ですが、私も観ておりまして、本当は3時間ぐらいにしちゃおうかという思いがあって。
なぜかというと、酪農家の皆さんが過ごされた3年の歳月ですね、それをどうやったらスクリーンを通して皆さんに伝えることができるのかと考えた時に……。映画館で上映するなら2時間、長くても2時間半ってのが、僕の持論です……でしたが、これは切っちゃいけないんじゃないかって。それでも最初6時間だったんですけど。豊田さんから「長い」って言われて、「長くないけどな」と思いながら切りましたが。
試写の時もですね、皆さんに長時間お座りいただいて、申し訳ないなってずっと思ってたんですが、よく考えると、酪農家の皆さんの時間にくらべたら、ほんのわずか。
今日の初日のことを僕の仲間に伝えようと思って Facebook に昨日書き込んだ時に、そうだ、これ実は「たった3時間45分なんだ」という思いに至りました。3年間の歳月の中の、たった3時間45分です。沢山の方に、もっともっと沢山の方にご覧になっていただきたいし、いま、なかにしさんや豊田さんが言われたように、時代は非常に危険なところになっている。フィルムをつないでいて思ったんですけど、震災の復興の事業と、原発と、そっくりですよ。復興事業にお金がジャブジャブ突っ込まれてます。確定申告の時期なので税務署行ったら、「復興特別税」っていうのが……、思わずなんか、吐きそうになりましたけど、ジャブジャブ使われてますけど、じゃあ本当に必要な人にそのお金が届いてる? 届いてない、です。
原発をつくった時と同じような税金の使われ方がなされている。ふと振り返って歴史を考えると、戦争も一緒なんです。戦地に行って地獄をみる人と、それでもって大儲けする人がいる。実は全然変わってないんです。そのことが、映像を観ながら、ひしひしと伝わってきました。お知り合いの方ですとか、ご覧になってない方に、ぜひお勧めいただきたいと思います。どうもありがとうございました(会場拍手)

野田:これからというところなんですが、これでトークの時間は終了となります。もっともっとなかにし礼さんにもお聞きしたいことが沢山ありますが、もちろんご著書の中にも沢山の思いを書いてらっしゃるので、ぜひご覧いただけたらと思います。
最後に、この『遺言 原発さえなければ』のパンフレット、実は今日の午前中にここへ届きまして、入り口のほうで500円で販売しております。今日の内容なども入ってますので、お買い求めください。

豊田:湯気がまだ出ている(笑)

野田:まだ湯気が出てますね。もう1つ、チラシのほうにクラウドファンディングっていうことでネット募金なども募集しております。
僕ら二人のフォトジャーナリストは3月12日から福島に取材に行ったわけですが、いつも取材時は全く後先は考えずにですね、とにかく撮らなきゃ、という意識でいつも行ってます。その結果ここまでつくったのはいいんですが、これからの展開のところでどうしても皆さんのご協力を得たいとお願いをしております。
それから自主上映のほうも、これからどんどん広げていきたい。全国へ、いろんな人に観ていただきたいと思ってますので。それもまた皆さんの力をお借りすることになるかと思います。今日の感想とか率直な思いを Twitter とか Facebook に書き込んで、どんどん広げていただければと思います。
今日は本当に長い間ご覧いただき、ありがとうございました(会場拍手)

講演文字起し 後藤/野口(ボランティアスタッフ)
構成・整理 Sawa(ボランティアスタッフ)