鎌田 慧 氏

鎌田 慧 氏

豊田:今日は鎌田慧さんにゲストに来ていただきました。
鎌田さんには、この映画では全面的にご協力をいただいております。
と言いながら、実は娘さんにはパリで英語字幕付きのDVDをお渡ししたんですけど、鎌田さんにはぜひ劇場で観ていただきたいと思ったので、観ていない中で映画を推薦してもらいました(笑)
そして今日、初め皆さんと一緒にこの会場でご覧になっていただきました。その感想から、まずお伺いしたいと思います。

鎌田:この3時間半という時間は、観ていると納得できる時間だと思います。
一人ひとりの被災者というか飯舘村の村民の思いを、少しでもきちんと伝えたいという非常に丁寧な仕事のしかたがよくわかって、感動を与えたと思います。
いまも同じような状況が続いているわけですけど、奪われ失われてゆく生活と、それがもう一度回復されてゆく道筋、その2つ、道が見える。その先はこれから頑張って生きていく、そういう希望が見えている映画だと思います。
この3年前にあった事故以来、避難という言葉と帰還という言葉がずっとマスコミで出ています。これはまるで戦争中のような感じなんですね。避難していくとか、もう一度帰っていくとか、戦争状態だったと思います。
いま福島では、IAEA(国際原子力機関)が研究機関を被災地につくるというのがあります。これは低線量の放射線はたぶん問題ないという、早く帰還するようなことのための機関、研究機関になって行くんだろうと思うんですけど。
いつどういうかたちで帰ればいいのかという質問をされたりしますけど、よくわからない。それは政治的な判断で早く返して復興に向けて行こうというのと、やっぱり低線量でも危ないという意見が対立して、村人の中でも対立するでしょうし、行政と村民も対立するという状態になって行く。そんな中での、酪農や農業をやっている人たちのたくましさの中での笑いと涙の生活が、この映画では描かれていたと思います。本当に絶対くり返してはいけないという決意が、これを観終わったあと現れてくると思うんですね。
いま政府は再稼働に向けていろんな宣伝をしているわけです。だけど、私たちは再稼働は認めない。日本は原発ゼロで行くんだという、そういう思いと決意を新たにできる。
頑張って行こう、もう絶対原発は認めないという、そういう豊田さんの、お二人の思いがこもっている。それが静かなカメラワークに表れていると思います。本当に長い取材、制作ご苦労さまでした(会場拍手)

豊田:もうどのくらい帰れないかっていう話だけしたいと思います。
この映画の中で「えっ、500!」って驚いた関場和代さん、健次さん。浪江町の中でも山側にあたるので非常に高濃度に汚染されている赤宇木地区というところで出会いました。
津島地区の、さらに字(あざ)ですね。そちらの人たちと去年の秋の深まった頃に、故郷をずっと廻ってみたんです。赤宇木の人たちはいま、記録集をつくろうとしています。その記録集っていうのは、孫の代にこういう村があったということを伝えるのではありません。そういうレベルではないと。
五代先、六代先、七代先になるかもしれないと、ここに子どもたちが戻るというか、住むという意味じゃないにしても。そういう先には、もうここに家があった跡も無くなってしまうだろう。もしかしたら石垣さえも無くなってしまうだろう。そういう五代先、七代先の子孫に、何か「私たちがここに住んでいたんだ」ということを伝えるようなものを遺しておきたい。
そういう覚悟を決めなきゃいけない人もいるということですね。

野田:私はスチールカメラで鎌田さんをいつも写させていただいています。
鎌田さんは、いつもデモの行進の先頭で歩かれて、もちろん演台では力強く言葉を発せられてます。
2012年の6月、大飯原発が再稼働しようとした時に、首相官邸前で大きなデモが広がりました。当時は「紫陽花革命」とも言われてました。
この時、広瀬隆さんをはじめ「正しい報道ヘリの会」というのがつくられました。市民のカンパでヘリをチャーターして空撮をするというプロジェクトでした。実はそこで撮影を担当していたのが私なんですけど、上空から首相官邸を臨んで大きな数十万人の人のうねりを見た時に、「これは日本が変わる」と、すごく大きな力を感じたわけです。
そして当時の民主党政権と話を深めて行きながら、もしかしたらこれは可能性があるんじゃないかというところまで行ったんですが、残念ながら(脱原発に舵を切った菅首相に代わって)野田首相になり、またその後、選挙で自民党政権になりということで、逆に巻き返しも非常に早く、この国がどこに向かおうとしているのか、というくらい不安な状態になってしまいました。
そこで鎌田さんにお聞きしたいのは、3.11後の市民によるデモの力と、この3年間の推移、あるいは3.11前の市民の運動の力と3.11後の市民の運動の力の変化とか、そういった社会の流れをどう見てらっしゃるかなと思いまして、お伺いしたいのですが。

鎌田:もちろん原発反対運動は40年前からありまして、それは各地域で原発がつくられるっていうことに対する地域の反対運動だったわけです。ですから反対運動が勝った所は原発が無くって、反対運動が負けた所には原発がつくられたっていう風に言っています。
反対運動はずっとあったんです。反対運動によって(原発建設計画を)つぶした所もものすごくあるんですね。最近ですと、新潟県の巻原発であるとか、能登半島の珠洲原発とか、それから和歌山県の海岸はほとんど反対でつぶしていますし、それから宮崎県の串間とか、山口県でもつぶしてます。そういう勝利した場所もあったんですけど、全体的に繋がるということではなくて、建設箇所でも反対運動がかなり激しく行われてまして、柏崎とか伊方原発とか、実力闘争で老人たちも参加した。
実力闘争が闘われて、で負けたりなんかしたわけなんです。そういう反対運動がずっとあったんですけど、それがだいたい労働組合が動員して住民と一緒にやって行くという運動だったんです。なかなか普通の市民が駆けつけて行くっていうことが出来なかったんです。
いまはもう、この再稼働反対をめぐっていろんな人たちが走り回っているわけで、僕も3月8日から、山口に行ったり青森に行ったり福島に行ったりしてる予定です。そういういろんな人たちが、顔をよく知っている人もいますし、それがまったく違う所でですね、労働組合の動員でヒアリング闘争だとか、いろんな現地集会が開かれてます。いまはそういう労働組合以上に、何十倍も市民が集まってくるというかたちになってます。
この3年間の推移で変わっているのは、保守層の中にも原発はダメだという、私たちの反対運動によって、ようやく彼らも目覚めて反対になってきた。例えば、細川さんもそうですし、小泉さんもそうですし、菅さんもそうですし、鳩山さんもそうですし。まあ、菅さんは保守とはいえないかもしれないけども、野田政権だってようやく突きつけられて、2013年(2030年代?)原発ゼロって言ってるわけで、五代の前首相「もう原発はダメだ」って宣言しているわけですね
これは反対運動がつくって来た成果なんです。そういう風に認めて、その人たちがさらに、産業界で原発に依存しない産業で行くっていう風に変わってきている。そういう原発社会はもうダメだっていう世論が―反対派、労働組合とかだけが反対するんじゃなくて―もう原発ダメだっていう世論がずっと広がって来ている。それをどういう風に政治的に結集して行くか、そういう保守層の革新派だけではない、保守層を巻き込んだ運動をどういう風につくって行くのかということがあって、それが4年目からの課題だと思っています。
もう絶対原発はできない。その期間をどう早めるのか、再稼働させないで、そのまますんなり着地する。原発ゼロで着地するための、さらなるいろんな運動が必要だと思っています。
いままでみたいな集会とデモで一生懸命増やすために頑張ってきてまして、3月15日は日比谷公園大音楽堂で大江健三郎さんとか澤地久枝さんとか、それから宇宙飛行士の秋山豊寛さんもいらっしゃる。そういうかたちで幅を広げてやって行くと同時に、やっぱりどんどんもっと経営者とか、保守的な地域の政治家、市町村、県人会、そういうところでどんどん原発反対の声を挙げて行く、そういう深い・広い運動をこれからやっていって、とにかく脱原発社会にするっていう構想を描いています。
(参考動画:「フクシマを忘れない!さようなら原発3.15脱原発集会」

豊田:それで思い出しました。労働組合が昔は市民と一体となってというのは、その頃40年前は、通信手段は電話と手紙しかないわけですね。そうすると組織が有る所が、無い所を応援してくれなければとてもじゃないけど通じない。
私は1996年ですかね、カンボジアに地雷の取材で行っている。その年のノーベル平和賞は、地雷禁止国際キャンペーンだったんですね。それは地雷禁止条約を世界的につくったわけです、市民がです。
これなぜ可能になったのかと、それが話題になったんですが、それは間違いなくインターネットだと。なぜならば、普通に国際的に市民が電話でコミュニケーションをやってたら電話代がいくらあっても足りない。だから組織がしょうがないから行く、というような時代が大きく展開した。
インターネットで同時に世界中の仲間たちと……時差はありますよ、もちろん、けれども0円で話ができるという流れが、一気に「世界的に地雷禁止をやろう」ということを可能にした。これがカナダ政府を動かして、じゃあ国家のほうの連携はうちがやりましょう、と。で、市民のほうがその段取りをつけてくれっていうのがあって、本当に世界での地雷禁止条約ができたわけですね。で、もちろんノーベル平和賞を取っただけじゃなくて、その流れはもう止まらないだろう、と。その次に、その延長でクラスター爆弾が禁止されている。
「いやぁ、そんなことができるはずないじゃない」っていうことが、現実にできるようになってるんだという。この原発の問題でいえば、トルコに輸出するとかベトナムに輸出するというのを、日本だけで止めればいいというんじゃなくて、私たちの国にだけ無ければいいというのではなくて、どう止めて行くのかという意味でいうと、世界規模で考える必要があるんだな、ということを、お話をお伺いしながら思ってたんです。

鎌田:やっぱりドイツが2020年に中止というかたちで廃炉にして、自然エネルギーの産業がだんだんと拡大して、雇用も増えてくるという状況がありますけれども。やっぱりドイツの人たちは孤立させないでくれ、もっと一緒にやってくれというのが希望なんです。
つまり、ドイツとかイタリアだとかスイスだけに任せておくだけではなくて、私たちが原発を止めて連帯して行く。韓国の原発反対運動もありますし、台湾の原発反対運動もある。そういう世界的な広がりもこれから必要になる。
それを安倍さんは、とにかくもう日本ではできないから輸出して儲けて行くという。まったく逆転した、犯罪的なことをやろうとしてるし、それはようやく核軍縮に向かっているのに、日本が核拡散に向けて輸出してゆくという、本当に犯罪的で、認められない。
再稼働もそうだし、再処理工場も操業しようとしている、もんじゅ(高速増殖炉)もまだあきらめてない。本当に時代に逆行している、歴史に逆行している、世界の流れに逆行している。
「安倍内閣っていうのはいったいなんだ」という。これは厳しく問いかけて行かなければならない。軍事問題の1つとして原発を考えているわけですね。
原子力基本法に、安全保障に資するというのを入れてますから、原発と軍備が合体しているわけですね。それから宇宙基本法の中にも安全保障に資するというのが入ってますから、ロケットと原発をつくるっていう。そういう●●●(核?たん??)に向けてやっているという、そのこともあわせて考えて行きたいと思います。

豊田:映画の中で先ほどの赤宇木の関場さんが「見えない戦場で闘っているみたい」という言葉を発してますけど、残念ながらあの時だけが見えない戦場であったのではなくて、いまも続いている。そういうようなことを考えざるを得ない。安倍さんの言葉で言えば「積極的平和主義」ですか。
まったく逆で「積極的戦争主義」でしかないことが日々明らかになっているけれども、恐ろしいな、というのは言葉ですね。百万回、「積極的平和主義、積極的平和主義」を聞かされていると、毎日聞かされていると、なんとなく平和に向かっている、あるいは向けているような刷り込みが起こって行くんだろうと。
だから積極的平和主義だということは、各[ニュースも新聞も、「今日、安倍首相は『積極的戦争主義』を唱えた」とは、やっぱり書けないわけですね。本人が積極的平和主義という言葉を使うから。
私たち自身が1つひとつ、読み取る側が本当に注意深くならざるを得ない。もちろん3.11はおそらく安全神話が崩壊したというのを、そのことを教えているんだろうと、私は思うんですけれども。言葉っていうことで、最後にひと言。

鎌田:戦争中は防空法というのがありまして、これ水島朝穂さんっていう人の『検証 防空法 空襲下で禁じられた避難』が最近出たんでぜひ読んで欲しいんですけど。その時は、「焼夷弾は怖くない」っていう……。年配の方はご存知でしょうけど、手袋でつかんで捨てられる、防火訓練とか防空頭巾とか防空壕とか、それぐらいで防空できると考えていた。これも「安全神話」だったんですね。空襲が来ても、とにかく消火活動を頑張って、逃げるなっていう。焼夷弾は怖くないっていう。
今の「低線量被ばくは怖くない」と同じかたちなんですよね。戦争中も安全神話で来たし、今もまた安全神話で行くし、それから亡くなった人は飯館村の農民であげられてますけど、最近でも被災者で仮設住宅で亡くなった人が、先月末も仮設住宅で夫婦で心中した話も入ってます。どんどん疲弊して死んで行く。
それから被ばくの問題もあって、これからどういうかたちで、労働者が被ばくなのか病気なのかわからない……。もうすでに発生していると思いますけど、そういう問題も含めてとにかく原発は絶対駄目っていうのは、壁に書かれた遺言「原発さえなければ」の文字、あれは一人から世界に向けて発した重い言葉だったと思います。
つまり原発がなければ幸せに暮らして行けるんだという、その遺言が、この映画のテーマになっているわけです。そしてそれが評判を呼んで、僕もとても嬉しく思います。
これからとにかく英語版ができて、フランス語版ができて、色々な言葉に翻訳されて、この日本で起こったこと、それに苦しんでいる人たち、そして不屈の精神で生活を立て直してゆく人たちの、長い物語が世界に広がって行って、それが平和と原発廃止に向かって行く、そういう風な映画として在ると思います。ご苦労さまでした。

豊田:鎌田さん、ありがとうございました(会場拍手)

野田:本当にありがとうございました。
この映画は一人ひとりが言葉を繋いでくれたんです。この間、広報活動というのはもちろんやって行くんですが、私たちはこの2人でやってまして、どこかの広告企業のようなことは一切やっておりません。本当に口コミで広がったんですね。それがこの結果会場から溢れる観客が映画館に詰めかけているです。
一人ひとりの言葉がまた次の人に繋がる、そういったことをもっともっと広めて行きたいと思いますので、この映画を、今日、観終わった感想とかを Twitter とか Facebook でもかまいませんので……もしくは電車で隣に座った人に伝えるとか(笑)
それくらいのレベルで一人ひとり繋げてください。それが日本の未来を違った方向へとつくっていくんではないかと願っています。今日は本当にありがとうございました。

講演文字起し 後藤(ボランティアスタッフ)
構成・整理 Sawa(ボランティアスタッフ)