足立 正生 氏

足立 正生 氏

豊田:今日はゲストに映画監督の足立正生さんをお呼びしております。
去年の10月に、山形国際ドキュメンタリー映画祭で何年ぶりにお会いしました。その前は東京でお会いした以来だと思うんですけど。今日は自由に、15分ほどしかないので、しゃべっていただこうと思います。

足立:この映画、皆さん観たばかりで、お疲れでもあろうと思うから、ややこしい話は省略。私もこの映画の舞台となっている飯館には3度ほど行ったことがあります。ですから、その村の中でも色々な実情があるのも見ていたので、一応、背景的なことはよく理解できます。さらに言うと、この、ドキュメンタリーでありながら中心人物として登場してらっしゃる長谷川さんの姿、そこには、行政をも巻き込んで、しぶとく生き続けるためにはどうしたらいいかと苦悩し続けている姿があって、それに豊田君たちスタッフが食らいついて、やっとこういう映画にできたのかなと思います。その力投ぶりをみんな褒めてやって欲しいと思います(会場拍手)
さらに言えば、ドキュメンタリーというのは、やはり福島の人々を対象にして、あるいはその人たちの「どうやって生きるか」という環境をも含めて対象にしてしまうので、それを切り取ってドキュメンタリーにするには、それなりの責任を負ってしまっているわけですね。ですから、途中で豊田君が長谷川さん相手に、多少酒も飲んでたのかな、「申し訳ない。僕らは映画をつくるぐらいしか、なにもできないんです」と告白してます。まさにそういう関係でしかないということを、引き受けないと撮れない映画だったろうという具合には思うわけですね。3時間45分というその長さは、彼らの3年におよぶ力投をどうしても切れなくて長くなっていった……これも許してやって欲しい。
旧聞になりますが、山形のドキュメンタリー映画際でも、震災で被害に遭った人たちの姿を映画に撮っているんですが、年月が経つと、震災直後と違いまして、記録のカメラを向けられると、もう彼らも俳優になっている。だからこの映画の中で、みんなもうカメラと同居しているとはいえ、俳優さんですよね、そういう意味で言えば。それでもなおかつ言いたいことを言おうとしているものが出てくる。スタッフの一人編集担当の安岡さんが、「ドキュメンタリストは責任をもっている」「対象に対して責任をもっているという意味で言うならば、共犯関係というところまで行くことによって初めて撮れるドキュメンタリーもある」というようなことを言っています。
だから、TVで事件が起こると、近所の人に聞くと、殺された人はみんな「いい人」って言う。あれはもうすでに俳優さんになって、近所の人が表現しているわけですね。それと同じように、ドキュメンタリーもその「轍」は逃れられないわけであって、その中で人々がもっているものをどれだけ、どっちの方向からどっちまで一緒に運んで行くのか、それがテーマだったと思います。
そういう意味では、心折れて、「原発さえなければ」と命を断った人の思いっていうのが、この映画を通して皆さんに伝われば、彼らは満足なんじゃないかなと思います。
私も最初は、そこに行くまではえらい旅路が長いなと思ったんですけど、実際には日々の暮らしをともにやってきた人たち、そういう姿を丸ごと描いて行こうという気概に向けて、「良し」としようかと思います。
偉そうなことばかり言ってるので、なんか言ってください(笑)

豊田:「共犯関係」っておっしゃってくださったんですけど、そういう意味ではおっしゃった通りで、じゃあどこに向かって共犯なのかっていうこともやはり意識せざるを得ない。そういうことも、一方では自覚しなければまとめられない。
「原発さえなければ」という言葉を、亡くなってしまった菅野重清さんは、もう二度と語ることができない。その言葉を僕ら自身が引き受けて、なおかつ残念ながら、いまご覧になっていらっしゃる皆さん、そしてつくった我々のこの時代だけではなくて、くり返しになりますけど、セシウム137の半減期が30年。30年経って、やっと半分までしか下がらない。ということは残念ながら、ここにいらっしゃる関場さんたちの場所は30年経っても帰れません。おそらく50年後でも帰れない。そこまで含めて、この訴えを僕らは「遺して」行かなければいけないんだっていう思いは、いまももち続けています。ですから、このタイトルにしました。
また別の、タイトルに対する思いが、野田のほうにもあると思います。

野田:そもそも私たち二人はフォトジャーナリストです。震災翌日から現場に行って記録を始めるんですけども、もちろん、全く映画つくるっていう前提で撮ってないんですね。とにかく大手メディアは20km圏内の汚染地に入って来られない状況だったので、私たちフリーランスがまっ先に入って、そこでとにかく記録するっていうことでした。しかし、見えない放射能をどう写真に写して、その被害をどう伝えるかといった時に、スチールカメラでは撮れないものが沢山ありまして、それでビデオカメラを回し始めた。やはりあの時、僕が一番印象的だったのは、3月12日に、田村市の体育館で双葉町から逃げて来られた方々の取材を始めたんですけど、そこでやはり、とまどいの声ですね、それをとにかく記録しなきゃっていう思いでした。その中でも印象に残っているのはですね、一人、お母さんが避難所にボストンバック1つで来てまして、「猫ちゃんおいて来たの。2日分のお水と餌をおいて来たけど、大丈夫よね」って聞かれました。僕は、なんとも答えられなかった。そういった声を1つひとつ記録していくこと、これこそが僕は、放射能の見えない実態を記録することができる媒体だと思って、それをずっと記録し続けて来たのが、この3時間45分。まあ、意地ですよね。とにかく私たちは徹底的に記録するということを、徹底的にやってきましたので。まあ記録した以上、これを次はどう未来へ遺して行くか、記録を風化させずに「記憶」にして行くか、という作業が、この映画というかたちになったんじゃないかと思います。

足立:私、最初に褒めたから、これ以上褒めると褒め殺しになっちゃうから褒めませんけれども(笑)。要は、人々がいて、そこにすっとんで行って一緒にやるってんで、風化する以前から、マニピュレートされた「絆」とか「連帯」とか、そういった言葉に収斂しないもの、それをなんとか描こうとしたというのがあって、それは褒めていいんじゃないかと思う。その他色々言いたいこともあるし、皆さんが飯館に行って測ってまわるように、私らも行った時は普通の道、行政側は道の真ん中の1m高い所でしか測らないという。しかし両側にある溝、あるいは庭の中でも、真ん中で1m高い所で測るだけ。そんなことでね、測定できないですね。そういうインチキをするっていうことは、最初から決まってたところで人々の苦悩がスタートしているというのがあると思います。ですから、こんだけ数値が違うものを平気でやってるということが、実は東京側にいる僕らは、ほぼそうなわけですよね。その数値の上下を気にしながら傍観していると。あるいは、こうやって電気も使っていると。という立場にみんな立てば、あとはもう勝負に出るしかないじゃないですか。そういうインチキな行政を許さない。この映画には出てこなかった若者たちの変なグループもあったりするんですね。そういう人々に会ってみると本当に、どうやってこの問題を解決するか、あるいはそれ以前に自分たちは本当に生きられるのかっていうところからやっているっていうのが、僕は出会う人々ごとに非常に痛感させられたことでした。
どうもありがとうございました、今日は。

豊田:一人だけ、一番早い人だけ、ご質問OKです。

観客:画面見てて思ったんですが、これはいつの出来事かっていうのが、一切出なかったんですけど、出さなかった理由ってあるんですか?

豊田:去年の4月、一番最初、花見の場面から始まりますから、実はあれが最後の場面です。
だけれども、3年間を時系列でまとめる必要はないと思います。といいますのは、これトータルで何が起こっているのかっていうのは、もう刻々と、実は今日も変わるし、4月になればまた変わる。さっき足立さんのおっしゃった行政のペテンも含めて、次々と状況は変わっていって、それに対して人々は翻弄され続けて来たし、今も翻弄され続けてるんです。それを丸ごと、時間軸的に追体験するんじゃなくて、この3時間45分の中で体験していただきたいと思った時に、時間軸である必要はないって僕らは思ったわけです。

足立:はい、意図としてはよくわかるし、みんなもわかると思うんだけど、それでも入れないのは不親切だよね(笑)

豊田:いま海外に出そうと思ってる国際版というか、英語字幕版を若干直さなきゃいけない状況もあるみたいなので、その際には検討したいと思っております。といいますのは、確かに国際版になると、飯館村っていう言葉をこの会場ではほとんどの人が初めてではなく聞いたことがあると思います。さすがに浪江町赤宇木(あこうぎ)になると、ちょっとつらい方もいらっしゃるかもしれませんけれど。
ところがおそらく、国際的にみれば、飯館であるのかっていうのはどうでもよくて「フクシマ」になってしまっている。場合によっては「ニホン」かもしれません。そういう中で、どういう風にみてもらうかってことは、確かに考えなきゃいけないなという風にも思っていますけれども。その際には足立さんにも顧問として入っていただけますか?

足立:ヤです(笑)

野田:もう1つは、ヒューマンストーリーとして繋ぎたいっていうのがやっぱり強く出て来たんですね。当初は記録としてニュース的な情報で配信していたんですが、もちろん時系列、非常に歴史的な事故なので、必要だと思いますけれども、やはりこう人間を描く時に、どうしても時系列にズレが生じてしまう。
たとえば「長谷川さんの食卓のこの笑いはココで入れたい」とかもあります。どうしても前後しなければいけないことが編集やってて出て来た。実はものすごい混乱すると思います。さっきは2か月前だったのに、また今度は半年戻ったのということになってしまう。極力抜いていますが、もう少し入れるべきなのかもしれないとも考えております。

豊田:今日は本当にどうもありがとうございました。

講演文字起し 後藤(ボランティアスタッフ)
構成・整理 Sawa(ボランティアスタッフ)