ゲストトーク

今年3月東京のポレポレ東中野で映画「遺言~原発さえなければ』が劇場初公開された際
ゲストとしてお越しいただいた方々のコメントから抜粋させていただきました。
なお、コメント掲載はゲストトーク開催日順とさせていただきました。

なかにし礼さん(作家・TVコメンテーター)  3月8日
僕がこの作品を観て非常に驚いたのは、事故があって、もうすぐに福島の現地に入り込んで線量を測るということをスタートさせていたということ。
この二人の共同製作者の方の先見の明といいますか、この事件が並々ならぬものであるという、大変なことなんだと感じ取った感受性と予見性と行動力、それがこの作品。
まあ(現地に)行ってみて、びっくりして帰ってくるというのが、我々だったら普通なんですが、そこで腰を据えて撮り始めた。で、その段階からすでに幾つかの家族に焦点を絞って、そしてその家族、家族の思いや苦難をまた軽妙に描写している、ということに、もう大変、なんていうのかな、やっぱりそれはドキュメンタリー作家であり写真家である彼らの、いままであらゆる国でいろんな悲劇を見て来た職人的な勘といいますか、原始的な閃きといいますかね、そんなものがあったんだろうと思います。
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足立正生さん(映画監督) 3月9日
ドキュメンタリーでありながら中心人物として登場してらっしゃる長谷川さんの姿、そこには、行政をも巻き込んで、しぶとく生き続けるためにはどうしたらいいかと苦悩し続けている姿があって、それにスタッフが食らいついて、やっとこういう映画にできたのかなと思います。その力投ぶりをみんな褒めてやって欲しいと思います。
ドキュメンタリーというのは、やはり福島の人々を対象にして、あるいはその人たちの「どうやって生きるか」という環境をも含めて対象にしてしまうので、それを切り取ってドキュメンタリーにするには、それなりの責任を負ってしまっているわけですね。ですから、途中で監督たちが長谷川さん相手に、多少酒も飲んでたのかな、「申し訳ない。僕らは映画をつくるぐらいしか、なにもできないんです」と告白してます。まさにそういう関係でしかないということを、引き受けないと撮れない映画だったろうという具合には思うわけですね。3時間45分というその長さは、彼らの3年におよぶ力投をどうしても切れなくて長くなっていった……これも許してやって欲しい。
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森達也さん(ドキュメンタリー映画監督) 3月10日
長いです。3時間45分ありますけども、おそらく「これは長すぎる。退屈だよ」と思った人は、誰一人いないんじゃないかなという気がします。つまり長さって、作品なんですよね。1時間半の作品だったら1時間半の本質があるし、3時間45分だったら3時間45分の意味と必然性があるからそうなるわけで、そういう意味ではおそらくこの編集でよかったんだと思います。(中略)
ドキュメンタリーというのはイデオロギーじゃ駄目だと思います。テーマを押しつける作品は駄目だと思います。テーマに回収されてしまっている作品は駄目なんです。つまり、当然ながら、これは原発「是か非か」という話にもなるわけですが、だったら紙にスローガンを書いてみればいいわけです。「原発は絶対になくしましょう」と。
そこでやっぱり私たちは3時間45分、何を見たのか。人を見たわけですね。色々な人を。陽気な人、ちょっと寡黙な人、ちょっとシャイな人、内気な人、自分を追い詰めてしまった人。いっぱい色々な人が出てきます。それによって僕らは考えるわけです。
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高橋哲哉さん(東京大学教授) 3月11日
皆さんご承知のように、事故の風化という事態が進んでいると思います。私も本当にそれを痛感しています。福島に、事故後いろんなことで、平均すると月に1回くらいは戻っています。福島の人たちの思いも、「自分たちが取り残されている」というのが、ものすごく強いんですよね。そういう中で、福島の声がなかなか届かない。政府にはもちろん届かない。政府には聞く耳がないのかという気もします。なかなか全国に届いて行かないというもどかしい事態の中で、こういう福島の、本当に普通の人たちの、今回は長谷川健一さんご一家を中心に、飯舘村の酪農家の人たちが中心ですが、こういう人たちの日常、本当に1つひとつの場面に丁寧に寄り添ってくださって、そしてその記録を遺してくださる。この福島の声を遺してくださったというだけで、本当に私は感謝したいというのが、まずは第一印象なんです。
飯舘村の皆さんの泣き笑いが全部入っている。人間ですから、苦しくても笑うこともあるし、日常生活のいろんな部分が全部出ていた。そういう非常にヒューマンな描写が印象的でした。その中でも最後の、タイトルにもなった「遺言」というエピソードが、重く感じられました。長谷川さんもおっしゃっていましたよね、「あそこに全部、重清の思いが凝縮されている」と。これは、ある意味では福島の酪農家あるいは福島の被災者、あるいは今回の原発事故の被災者の思いだと、思うんですね。それが凝縮されている場面を、全体のモチーフというか、通奏低音にしてつくられた映画で、やっぱりそこからいろんなことを考え始める必要があるんじゃないかな、というふうに思いました。
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吉岡達也さん(ピースボート共同代表) 3月12日
世界中で原発の建設には、やはり反対運動があるんですよ。でも、そこでも完璧に電力会社の方がお金があるんで、安全神話キャンペーンをわけですよね、どこの国でも。
一番酷いヨルダンという国なんかは、そこに日本がまだ輸出しようとしているんですけど、水がないわけですよね。ヨルダンでは水がものすごく貴重なわけです、中東の砂漠の多い国ですから。そこで、福島と同じ形の原子炉を作るっていう、もう狂気の沙汰なんですが、そのヨルダンで「もう全然大丈夫、安全、安全」っていうキャンペーンやっぱりやられているわけですよね。
だから僕、この映画の持つ意味って大きいと思いますね。特に重要なことは、人間の精神、社会、家族という単位とか、そういうものが破壊されていくんだと。放射線によって肉体が破壊されるということだけではなくて、社会そのものが破壊されてゆくというところが、この映画の非常に重要なメッセージなんじゃないかなと思います。
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鎌田慧さん(ルポライター) 3月13日
この3時間半という時間は、観ていると納得できる時間だと思います。奪われ失われてゆく生活と、それがもう一度回復されてゆく道筋、その2つ、道が見える。その先はこれから頑張って生きていく、そういう希望が見えている映画だと思います。
この3年前にあった事故以来、避難という言葉と帰還という言葉がずっとマスコミで出ています。これはまるで戦争中のような感じなんですね。避難していくとか、もう一度帰っていくとか、戦争状態だったと思います。
いつどういうかたちで帰ればいいのかという質問をされたりしますけど、よくわからない。それは政治的な判断で早く返して復興に向けて行こうというのと、やっぱり低線量でも危ないという意見が対立して、村人の中でも対立するでしょうし、行政と村民も対立するという状態になって行く。そんな中での、酪農や農業をやっている人たちのたくましさの中での笑いと涙の生活が、この映画では描かれていたと思います。本当に絶対くり返してはいけないという決意が、これを観終わったあと現れてくると思うんですね。
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落合恵子さん(作家・クレヨンハウス代表) 3月14日
……映画をご覧になったいま、胸がいっぱいになられていると思います。私も観ながら、何度となく涙が止まらなくなりました。いろいろな意味を含む涙です。
原発を推進したすべてのもの、永田町の住人はもとより、ここにひっぱって来て、この作品を見せたいです。人生が壊されていくことの無念さ、憤りを。
いつだって歴史は権力者側から記録されてきました。大文字のヒストリー(HISTORY)は、HIS-STORY。「彼」の物語だった。私たち市民の歴史は消されてきたし、今後も消されていく可能性がある。それをこういう「かたち」で遺してくださったことは、歴史を拓く意味でも大切なことだと思います。
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文字起し 後藤/野口/Kiku Ito/任キョンア
(映画『遺言』ボランティア)
構成・整理 Sawa(ボランティアスタッフ)
文責:映画『遺言』プロジェクト